【佐賀市】江藤新平の功績とは? 佐賀城本丸歴史館で没後150 年特別展 江藤新平が5/12(日)まで開催中!

佐賀城本丸歴史館で2024年5月12日(日)まで

没後150年特別展 江藤新平―日本の礎を築いた若き稀才の真に迫る―

が開催中です!

江藤新平と言えば、大河ドラマや幕末を描いたドラマや映画などに登場し、その名を知られています。
江藤新平は、(1834年3月18日 – 1874年4月13日)は、江戸時代後期の武士であり、明治時代の政治家、官吏、教育者でした。「維新の十傑」や「佐賀の七賢人」の一人としても知られています。

江藤新平は天保5年(1834年)佐賀藩下級藩士の長男として出生し16歳で藩校弘道館に入学しました。

23歳の時に作成した意見書「図海策」では、民衆生活の尊重を立論の根拠とし適切な意見を理路整然と展開、39歳のときには、初代司法卿として、日本近代の司法制度の基礎を築くために司法改革に力を注ぎ、裁判所の設置や検事・弁護士制度の導入などを推進しました。

40歳のころには参議として新政府の中心として働くことになるも、征韓論争を契機とする政変で、西郷隆盛らと共に参議を辞職しました。

翌年1874年2月には佐賀七賢人の一人である島義勇と一緒に佐賀征韓党首として佐賀の乱を指導も政府軍に敗れ1874年4月13日には死刑を言い渡されて即日処刑されました。※初代司法卿 江藤新平:佐賀地方検察庁 より

かつて江藤新平の処刑場であった森林公園には、千人塚という供養塔があります。

江藤は「四民平等」を説き、近代日本の司法体制の父とされています。彼の急進的な改革姿勢は保守派と対立し、佐賀の乱によって刑死した逆賊と見なされました。しかし、彼の功績は、日本の近代化に大きな影響を与えたものであり、佐賀の七賢人の一人としても称されています。

佐賀県庁の新館1階県民ホール北側受付でも、江藤新平復権プロジェクト~没後150年を迎える佐賀の偉人・江藤新平のモニュメントが4月1日(月)から12月31日(火)まで飾られています。

佐賀県庁 観光課

佐賀県庁新館

日本の礎を築いたにも関わらず、佐賀戦争(佐賀の乱)で悲運な死を遂げた影響から、名誉回復が遅れ今も正当な評価がなされていません。

そのため佐賀県では、江藤新平の比類なき功績や志を明らかにし、県内外での江藤のイメージ・評価を転換し、名誉回復するために「江藤新平復権プロジェクト」に取り組んでいます。

江藤新平のモニュメント(原型)に加え、同じく没後150年を迎える開拓判官として札幌の街づくりを牽引した北海道開拓の父・島義勇のモニュメント(原型)も展示されています。

佐賀城本丸歴史館では、他にも江藤新平からの挑戦状! 謎解き宝探しや、抽選でプレゼントが当たる意外な一面発掘!「江藤新平って、実は・・・」投稿キャンペーンなども同時開催中です!

5月11日(土)、12日(日)には佐賀県立佐賀城本丸歴史館御小書院(特別展示室)内では、ギャラリートークを無料で聴講することができます。

2023年さが維新まつり

昨年の維新まつりでは、大河ドラマで江藤新平役を演じた俳優の迫田孝也さんが江藤新平の扮装をして佐賀県知事らとトークイベントを開催しおおいに盛り上がりました。

ぜひ佐賀の七賢人・江藤新平を深堀りしてみませんか?

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hiro

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